テストについて考える(留学11日目)

どうも、ガンバレットです。

ホームステイ先にあるポップコーン製造機に興味津々です。

コーンをぶち込むだけで、機械の唸るような音とともにポップコーンがぽこぽこ出てきて、見てるだけで五感が満たされます。

ええ匂いもする。


今日はテストがありました。


これは語学研修の初日にあったような、僕たちの英語力を確認するものではなく、授業を聞いたあとの理解度を確認し、評価基準にするためのものです。


正直ノー勉でも余裕でした(フラグ)。


本当に授業中にやった事がほとんどで、先生が出すよって言ったところがまんま出たという感じでした。


僕はあまりこの手のテストは好きでないです。


いや、まあ、高校の頃のような、暗記地獄のようなテストも、もう受けたくないですがね。

授業プラス暗記ものをしっかりこなさないと、下手すれば赤点というテストは苦手でした。

僕の認識では、授業までがノルマであり、自主学習は、すれば褒められるもの、という感じでした。


高校入学時のこの認識が大変甘かったのでしょう。


受験勉強とは、殆ど後者の自主学習が占めているので、身につけるまでは地獄でした。


僕は自分の勉強に対する認識を変えられなかったのです。それに、自主学習したところで誰も僕を褒めるはずありません。誰もがやる、至極当然なことなので。

だから、その「自主学習」自体に楽しさを強引に見出して、ごまかしごまかしで受験を乗り越えました。

もちろん、大学では自主学習出来てません笑。


大学は授業だけで、テストは乗り越えられます。

今回のテスト然り。



しかし、僕は思うのです。



自分の知識、能力を向上させるには授業よりも圧倒的に自主学習の方が効率がいいのではないかと。


数学では、よくありますよね。

授業で何度も書き写した解法なのに、いざテストでは解けない、ようなことがよく。

他人にぼう、と聞いたことより、自分で論理的に考えた方が、自分でアウプットすることが簡単になるなんて自明です。


だから、授業聞いてただけで評価されるシステムは好きではありません。


うちの大学のテストも大概はこの形なので、この一年、何か身についた感覚がありません。


しかし、「理解する」ことと「自分の知識にする、身につける」ことはまた違った難しさがありますよね。


授業と自主学習では一時的には両者出来ますが、一年も経たないうちに、「知識」はかなり消えます。

僕はセンターで日本史選択でしたが、大学の後期の講義ではすでにほとんど知識は残っていませんでした。


だから、この「何か身についた感覚がない」感覚は一概に大学のテスト形式の所為ではありませんが、ひたすら、授業で分かりきったことを確認させられるのは、なんだか虚しくありませんか?


この語学研修ではその虚しさを感じたくないです。


「なにか、こちらからアプローチをかけなければ、得られない」、ということを肝に銘じて残りの日数を消化したいです。


今日はここまで。


明日も頑張るぞい!